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一念(いちねん)に億劫(おくごう)の辛労を尽せば

一念(いちねん)に億劫(おくごう)の辛労を尽せば本来無作(ほんらいむさ)の三身念念(さんじんねんねん)に起(おこ)るなり所謂南無妙法蓮華経 (いわゆるなんみょうほうれんげきょう)は精進行(しょうじんぎょう)なり​​​​​​​ 御書790ページ 御義口伝より

離の字をば明とよむなり

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離の字をば明とよむなり 御書773ページ 御義口伝より

崇峻天皇御書

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本文 人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり (御書1173㌻13行目~16行目)  詳しい背景や解説は先達たちにお任せすることにして、私がこの一節を取り上げたかったのは最も大切にしなければならない「心の財」とは決して個人に限った内容ではない、という場面に出くわしたからだ。組織においてもやはり大切にしなければならないのは人でありなかんずく、人の心というものに最大限焦点を当てて意思決定をしなければならないということだ。  会社を経営していくためにはどうしてもお金というものを第一に考えてしまいがちだ、しかしそれは会社という組織を生命という視点で捉えたとき必ずしも良い判断基準とはならない。経営状況の苦しい会社にとってはそんなことを言っても明日のためにまず現金が必要だという経営者の方もたくさんいらっしゃるだろう。それは個人にとっても同じことで明日食べるものに困っている時は「蔵の財」、「身の財」を第一に考えてしまうのは当然なことだ。  しかし、長期的な考え方を取るならば明日の食べるものに困らないような自分自身を作り上げていくことこそ大切であるということは誰もが納得しうることだろう。それと同じように、会社にとって大事なのは明日の心配をしなければならない状態にならないような会社作りを心がけることが大事で、そのためには働く人間の心を第一義とすることが最も重要であるということだ。一過的な支出や組織体系の変化、仕事の進め方なども経営者と労働者、両者の心が理想とする状態になるように意思決定の基準を置かなければならない。しかし、現実には経営者は懐を暖めるための選択に安易に流されてしまうし、労働者は堕落を求めた仕事の仕方をしてしまいがちだ。たとえそれが明日の心配をしなければならないことになるということがわかっていたとしても…  だからこそ、今現在社会において宗教というものの役割が大事だと言うことを語って置かなければならない。四条金吾が主君から厳しい処遇を言い渡されたにもかかわらず、主君が病のときには