一念(いちねん)に億劫(おくごう)の辛労を尽せば

一念(いちねん)に億劫(おくごう)の辛労を尽せば本来無作(ほんらいむさ)の三身念念(さんじんねんねん)に起(おこ)るなり所謂南無妙法蓮華経 (いわゆるなんみょうほうれんげきょう)は精進行(しょうじんぎょう)なり​​​​​​​


御書790ページ 御義口伝より

 人を惹きつけるものとは一念の億劫の心労を尽くされたかどうかで決まる。
本文は大聖人様が一念三千の法理について説かれたものだが、私は今日、価値あるものをいかに作っていくべきかを悩んだときこの御文が自然と湧き上がってきた。
 ITの進化が目まぐるしい昨今。高度な技術を凝らしたゲームがたくさん出てきているようだ。その中で多くの人々に愛されるものは何かと思いを巡らせていくと私はこの御文にある億劫の心労を尽くされたものにこそ、それに値するものが生まれるのだと信じて疑わない。
 ゲームとはデザイン、ストーリー、音楽、システムなど様々な要素が組み合わさって一つのものを形作る一つの芸術作品ととらえても差し支えないだろう。この芸術作品には多くの人間が関わり様々な思いを込めて一つの作品として世に誕生することになる。作品には誕生するまでの過程があり、携わる人々の境涯があり、触れ合う人々と一体となってその価値を決定づける。言うまでもなく作品にも厳然と生命が宿っているのだ。小手先の技術で真新しさを見せるだけのゲームは残念ながら人々には受け入れられない。このことはあまりにも多くの実例とともに世に現存している。例え古めかしくても、多くの人に愛され、その思いに最高の形で応えようと億劫の心労を尽くし出来上がったゲームは最高の価値を持っている。
 私が作るすべてのものに願わくば億劫の心労を尽くされることを願って、今日も一日を懸命に歩んでいこう。

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